田畑喜八

田畑家は手描きの京友禅染匠として、約200年にわたる歴史を誇っています。初代の喜八氏は日本画を基にした独自の技法で京友禅に新たな風を吹き込み、昭和30年には三代目の喜八氏が重要無形文化財「友禅」の保持者であり、人間国宝に指定されました。

田畑家は京友禅の染屋として、「藍の濃淡・摺疋田・縫い箔」を得意としています。特に「茶屋辻染め」という作品は、独特の藍色の美しさが際立ち、伝統的な古典文様を個性的に演出しています。この作品は、江戸時代から大切に使われている「藍の墨棒」で加筆され、藍の濃淡を基調とした気品あふれる、格調高く、優雅でありながら芯に力強さのある着物を作り上げています。
また、京友禅の「差す」色の多彩さは世界的に類を見ないと言われており、「田畑家コレクション」という、田畑家が着物を作る際に使用する膨大な色の生地が貼られた見本帳が、田畑家の財産として受け継がれています。

田畑家は、初代喜八氏以降、田畑本家を継承する者が名乗り得る名門として、約200年にわたる歴史を誇っています。
初代の喜八氏は文政年間に日本画家を志し、京都で日本画を学びました。彼は染色業を創業し、主に御所や二条城を中心とした奥方や姫君の御衣料を承る誂染師として活躍しました。明治時代以降には「田畑」を名乗るようになりました。
二代目の喜八氏(幼名:貴松)は鈴木松年に弟子入りし、日本画の勉強から始めました。彼は初代の染屋を継ぎました。
三代目の喜八氏は人間国宝に指定され、その後四代目、そして現在の五代目の喜八氏に引き継がれています。三代目は絵画的で写実的な表現を得意とし、五代目は着物のサイズを生かしたダイナミックな友禅の構図と色数が少ないという作風を持っています。

田畑家の始まりは、滋賀県高島郡出身の初代喜八氏が文化文政時代に絵描きになりたいと一念発起し、京都で日本画を望月玉泉と鈴木百年に学んで日本画家を志して上京し、1825年に小川通りに染屋を開いたことにさかのぼります。

京都は美しい水に恵まれており、茶道や清らかな水を使う染物や織物が発展しました。また、この場所は徳川将軍家を中心とした二条城や天皇を中心とした御所があり、奥方や姫君の御衣料を受け賜わり、誂染師として活躍していたことが染屋や織屋の成長に寄与しました。
二代目の喜八氏は鈴木松年さんに師事し、日本画の勉強から始めました。この頃、公家や元武家から「姫の嫁入り道具に着物を」と依頼を受けたことが田畑家コレクションの始まりとなりました。
三代目の喜八氏は幸野楳嶺さんに師事し、絵描きの道を目指しました。しかし、父親の二代目喜八氏が亡くなったことで染の世界に入り、古代衣裳の蒐集に力を注ぎました。これが「田畑家コレクション」を形成し、現在では数百点以上の貴重な染物が残っています。
四代目の喜八氏は芝居好きであり、大学生時代には劇団を主宰していましたが、父の姿を見て家業を継ぎ、田畑家コレクションを引き継ぎました。
父である四代喜八氏に厳しく指導されたのが現五代喜八氏、本名は田畑禎彦さんです。1935年に京都で生まれ、3人兄弟の長男として育ちました。小学生時代には集団疎開を経験し、中学生時代には武道を学び、嵯峨野高校に進学し柔道部の主将を務め、生徒会長も務めました。
高校卒業後、京都から飛び出し、早稲田大学第一文学部美術専修に進学。東京でさまざまな出会いと職種を経験しました。卒業後は京都に戻り、京都市立美術大学日本画科に進学し、日本画を描くための勉強を徹底的に行いました。父の下で写生の実習を重ね、1995年に「五代田畑喜八」を襲名しました。
五代目の田畑喜八氏は、「華主」として一番美しく輝く着物を作ることを仕事とし、藍の濃淡を基調とした気品あふれる格調高い着物を作り上げています。

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